途方も無く愛した男がいた。
否、愛していたというより欲していたというべきか。
愛というよりは執着に近く、こちらを見向きもしない男をどうしても落としてみたかった。
気まぐれにやってきては食事をし、他愛のない談笑をしてその後抱かれる。
女の扱いが恐ろしいほど上手いその男。
艶事に関して経験値が高いと思っていた自分の自負をぼろぼろに打ち砕いていくほどには――手慣れている男だった。
最初に抱いたのは口惜しいという感情。
だからこそ、男は自分を気に入ってくれたのだと思う。
「お前は面白いな」と…気がつけば、自分と男が会う回数は多くなっていた。
男の所有する屋敷に足を踏み入れたことはないが、自分の住まいに男の私物が増える程度には頻繁に出入りされていた。
男の愛人。情婦。それに準ずるモノだとは自覚していたし、その中でも一等気に入られているという自覚もあった。
女は男に執着していた。
自分の美貌には自信があったし、男の扱いも十分心得ている。
今までの人生の中で培われたその高いプライドが、男に執着する起因になっていることも分かっていた。
私だけの男でいないのが――口惜しい。
自分が他の男と情事を重ねても、愉しそうに笑うだけで気にもとめてもらえないのが口惜しい。
自分以外の女を抱いて愉しそうにされるのが、一番腹立たしかったように思う。
女は男の一番でいたかった。
愛して欲しかった。否、執着して欲しかった。
『どうせなら、私と結婚してくださらない?』
浮気しても咎めませんし?尽くしてご覧にいれますが。
情事の後、珍しく部屋に居残り煙草をふかしていた男の背中にそう問うたことがある。
自分の言葉に、男はふっと笑って「面倒事はごめんだ」と言った。
そこまでして飼いたい女ではない、と言われた気がして…表には出さなかったが身を引きちぎられそうなほどの屈辱を味わったことを覚えている。
愛しているというには生ぬるい。やはり執着という単語が相応しい。
自分が男に抱く感情は―― 一瞬で諦められるような拙いものではなかった。
シルヴィア――と、男に数多く群がる女の中で、唯一自分だけが名前を呼んでもらえる。
数多の顔無し。自分もその一人。だが男は自分の名前を呼ぶ。
その度優越感に浸れるのだ。彼に名前を呼んでもらえる女は私だけだ――と。
長い時間、男の一等お気に入りの愛人として過ごした。
時折彼の腹心と、街でばったり出会って立ち話する程度には、男の周囲に馴染んでいた。
だがその日常は、ある日突然崩れ去る。
「…余所者?」
「あぁ、非常に面白いお嬢さんだよ」
「女性ですの…」
「女性というより〝お嬢さん〟だな。少女と言うべきか――」
「ブラッド様に幼児趣味の気があるとは存じませんでした」
「……酷いことを言うな」
笑いを含んだ返答に――シルヴィアは軽く目を見開いた。
自分が彼に軽口を叩くのはいつものことだ。その程度には慣れている。
彼の冷酷さも、鋭い眼光も、身の縮むような殺気も経験して知っている。
殺されない自信があるわけじゃない。慣れただけだ。
ここで怯えて黙るような女を、この人が気に入るわけがないからと。
気丈に振る舞ってきた、ただそれだけ。
だがあまりに機嫌の良い男の返答に、嫌な予感がした――――
「気に入って――いらっしゃるのですね」
男は笑う。当然だ、と言わんばかりに。
もしかしたらもう手をつけているのかもしれない。
自分が一度も足を踏み入れたことのない屋敷に囲われて、その余所者の少女は男に手を出されている。
彼のことだ。面白いと思ったら絶対に手放さないだろう。
気の短いように思えて、案外実は気の長い男なのだ。
気に入ったら長い。そんなこと、シルヴィアは十分過ぎるほど知っている。
シルヴィアが余所者の少女を、遠目ながら見る事ができたのは舞踏会の日だった。
必ず来いとブラッドから招待状の同封された封書が送られてきて、シルヴィアはわざわざ城へと出向く。
初めて見た余所者の少女。
確かに、女性というよりはお嬢さん。幼い顔立ち。貧相な胸。長いだけの手足に、女性らしい肉付きもない。
あんな女に負けたのかと思うと、口惜しいを通り越してシルヴィアは自分に呆れかえってしまった。
あんな女を一番に据える男に執着している自分が、一番馬鹿らしかった。
『なんなの…あれ』
『あんな女がブラッド様に…余所者だからって調子に乗っているのね』
『すぐに飽きられるわよ。あんな貧相な――』
ブラッドと少女を見つめる不愉快な視線。
貴婦人の集団が妬ましげに二人を見ており、多分だが――3人が3人とも男に食われた経験があるのだろう。
一回きりの暇つぶしとしてか、策略がらみで何度かか…それは分からないが、それでもブラッド=デュプレは女の名前どころか顔も覚えていないだろうと予想する。
その舞踏会の夜から、シルヴィアの元にブラッド=デュプレが訪れることはなかった。
時折思い出したように贈り物を送りつけてみたりもしたが、返信もない。
最終的に返ってきたのはもう贈ってくるなという返事と、帽子屋ファミリーのボスが妻帯者になったという街の噂だけ。
名前も知らない余所者の少女に――嫉妬などの感情はなかった。
自分は賢いのだ。自分が男にとってその程度の存在だと、頭のどこかで理解していた。
理解していたからこそ執着していたのだが、いざ捨てられて追いかけ縋り付くほど、自分のプライドは低くない。
そして自分のそういう部分を彼は気に入っていたのだろうと――
結局彼に利用されるだけで終わった自分自身。
そういう自分を、シルヴィアは理解していた。
PR
COMMENT